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『今昔物語』山野楽器スタッフ編 秋山茂(Tp)

■青山学院大学 ロイヤル・サウンズ・ジャズ・オーケストラ
1993年 第24回大会出場
1994年 第25回大会出場
1995年 第26回大会出場
1996年 第27回大会出場

※2025年5月寄稿(現在、グループ会社ヤマノクリエイツ勤務)
 第55回大会、青学ロイヤルの最優秀賞おめでとうございます!2年前の第53回大会に続き、2度目のグランプリ獲得をOBとして嬉しく思います。

今から30年前、私がいた頃のロイヤルはヤマノで上位入賞なんて考えてもいませんでした。目指していたのは「他のバンドがやらないような音楽をやってやる」ぐらいで、順位は二の次でした。それでも「自分たちでカッコいいと思う演奏を聴かせたい」という思いで、夏合宿などメンバーで一丸となって練習(と飲み)に打ち込んでいたことは、今でも昨日のことのように覚えています。そんな努力のおかげか、私が1年から4年までの間、ロイヤルのヤマノの順位は毎年少しずつ上がっていき、私の引退した翌年からはコンスタントに入賞するようになりました。でもまさかその後20年以上経って最優秀賞を受賞するなんて、まったく想像できませんでした。時代は変わるものです。

さて、そんな学バン生活を経て私は山野楽器に就職しました。入社して最初の配属先はバイオリンなどを扱う弦楽器売場でしたので、その頃は自分が仕事でビッグバンドに関わることはないと思っていました。しかしその2年後、新大久保の管楽器専門店ウインドクルーに異動となり、学バン現役生、OBOG、プロミュージシャンやジャズ業界の方と関わる仕事になりました。業務上で学バン出身の方とお会いすると「●年のヤマノに出た」とか「〇〇さんと一緒に演った」などが共通の話題となり、「あれが自分の人生を変えた」とか「あのときの悔しさは忘れない」とか、それぞれの心の奥に刻まれた思い出に共感しあうことが度々ありました。そんなやりとりを通じて、自分はこの「ヤマノ」という大会の重要性を知り、同時にこの大会を自分たちの手で継続していかなければという思いを強く抱くようになり、結果的にヤマノの大会実行委員を20年以上務めてまいりました。振り返ると、コロナ禍で大会存続の危機などもありましたが、この先も多くの学生の目標や思い出として末永くこの大会が続いていくことを心より願っています。

ところで現在、私は赤坂の「Jazz Dining B-flat」の業務に携わっています。ここでは、プロミュージシャンのブッキングや、学生バンドや社会人バンドの貸切利用について相談を受けつつ、ライブを日々開催しています。プロの生演奏を間近に聴いたり、アマチュアの方が自分たちの演奏を披露していただけることは、ヤマノとはまた違ったビッグバンドの醍醐味を味わえる環境であります。かつて「ビッグバンドの聖地」と呼ばれたB-flatを、ぜひ多くのジャズファンに楽しんでいただけるよう、これからも自分なりに尽くしてまいりたいと思います。そしてこのB-flatが、長年続いてきたヤマノとともに、日本のビッグバンドジャズ振興と、山野楽器の掲げる「Be Happy with Music」の実現に繋がることを信じて止みません。

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