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『今昔物語』山野楽器スタッフ編 小野聡一郎(Dr)

■日本大学 リズム・ソサエティ・オーケストラ
2014年 第45回大会出場
2015年 第46回大会出場(審査員賞)

※2025年4月寄稿(現在、グループ会社ヤマノクリエイツ勤務)
YBBJCのステージに立ったことや学バンに所属していたことは私の一生の財産です

私の人生の中で「YBBJC」や「学バン」は切っても切り離せないワードであり、大きな存在です。
2025年現在、山野楽器で働かせていただいているのも、また休日は大学当時の仲間と共にバンド活動ができているのも「YBBJC」、「学バン」いずれも欠落していたら今の自分はないと、10年ほど経った今でも断言できます。これから先も必ずそうでしょう。

高校生のころ、両親の影響でT-SQUAREやCASIOPEAなどのフュージョンが好きだった私は、そのバンドメンバーの過去を調べていると、大学生の時にビッグバンドをやっていたとのこと。
それを追うように私も、大学に入学すると大学生ビッグバンドである日本大学リズム・ソサエティ・オーケストラ(以下:日大リズム)の新歓ライブに行きます。
そこでは学生とは思えないド迫力のサウンド(しかも生音)、また私はドラム希望だったため、その時叩いていたドラムの先輩方のプレイに圧倒され、私もこんなバンドでドラムを叩きたい!と思い、入団することにしました。
当時の日大リズムは、レギュラー週3で専用の地下スタジオで練習し、年間約15~20本ほど、ごとし(依頼演奏)を含むライブをおこなっていたと思います。
日大リズムの活動の中でもYBBJCは特別なイベントでした。
入賞することを目標に開催日の数か月前(YBBJC終わった後から次のYBBJCを考えていたかもしれません・・・)からYBBJCを念頭に入れ練習していたと思います。YBBJC前の夏合宿は、まさに“合宿”で、練習漬け。
朝9時から昼までは個人・パート練習、昼から夜までは合奏→パート練習、夜から夜(朝?)4時ごろまで各曲のソロ練習→パート練習と、ほぼ寝る時間が無かった合宿でした。普段7時間以上睡眠、かつ朝が弱かった自分にとっては非常に酷な合宿でしたが、今となっては良き思い出です(笑)。
また深夜の練習では、ベースとドラムで、数時間手を止めることなくひたすらパターンを演奏するということもやっていました。そんな合宿を経ていざYBBJC本番。

第45、46回大会の計2回ステージに立ちました。いずれも演奏中のことは頭の中が真っ白で全く覚えていませんが、第46回大会演奏後の前田憲男先生からの講評が今でも強く記憶に残っています。
「もう笑っちゃったね、こんなに楽しい音楽はない」と大変ありがたいお言葉をいただいたことです。
いまでもそのシーンを思い出します。この講評をいただき、結果には期待もしていましたが、演奏を全く覚えていないことにより疑心暗鬼のような思いの中、表彰式に臨みました。

国府さん第10位 奨励賞 法政大学 ニュー・オレンヂ・スウィング・オーケストラ」
私「(よばれない・・・)」

国府さん「第9位 審査員賞 日本大学リズム・ソサエティ・オーケストラ」
私「よっしゃああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

バンド名が呼ばれ、泣きながら喜んだことを今でも思い出します。
それまで3年間、音楽をやることが辛い時期もあり何度バンドをやめようか葛藤もありましたが、本当に続けて良かったと、心から思った瞬間でした。

10年ほど経った今でも、当時の仲間や、学バン・YBBJC繋がりでバンド結成など、今も楽しく音楽を続け、会ったときには“ヤマノ”の話をします。
きっと、何十年先でも当時の仲間と会う度に、当時の事を語りながらお酒を飲んでいることでしょう。
私の一生の財産です。

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