『今昔物語』 谷口英治さん(ジャズクラリネットプレイヤー)

1990年 第21回大会出場(最優秀賞/最優秀ソリスト賞受賞)
ジャズ・クラリネット奏者
※2006年、第37回大会に寄稿された文章を当時のまま掲載しています。
野望
今年も大盛況での開催、お祝い申し上げます。
ところで「お前はどこのOBなんだ?」とよく言われます。よい機会なのでこの場を借りて、その辺のいきさつ~私のYAMANO BIGBAND JAZZ CONTESTをめぐる数奇な青春についてお話しさせて下さい。
「ヤマノで最優秀ソリスト賞をとる!」これが福岡の田舎の高校生であった私の野望であった。中学の吹奏楽部でクラリネットを手にし、そのころから北村英治さんのようになりたい!と我流でスイングもどきを吹いていた私であったが、「いくら谷口でも最優秀は無理やろ。ヤマノっち全国からプロよりうまい精鋭が集まるコンテストなんやろ?」というのが周囲の意見だった(多少レベルがデフォルメされているのは地方でありがちな現象か)。しかし野望に近づくべくやりたくもない勉強をして早稲田大学に入学。晴れてハイソの門を叩いたのだが、あまりクラリネットを吹かせてもらえない現実(当たり前だ!)に直面し数週間で退部することになる。その後はコンボのサークルに在籍しセッションに明け暮れジャズ喫茶に入り浸る。
また週に三日はナイトクラブやキャバレーなど「現場」でプロの先輩方に叩き上げられた。
一度はビッグ・バンドをあきらめた私に「ヤマノ」との接点が訪れたのは三年生の秋も深まり霜が降りはじめたころと記憶している。当時一緒にコンボを組んでいた安ヵ川大樹(b)氏が「クラのフィーチュアいっぱいやるからウチ(明治大学ビッグ・サウンズ・ソサエティ・オーケストラ)に来ない?」とあま~い誘いをくれたのだ。すぐさまその辺に転がっていたテナーサックスを手にBSSOの練習に合流したのだった。というわけで春の定期演奏会と米国遠征までのわずか三ヶ月間が私の貴重な学生ビッグ・バンドの正部員経験となった。
実は四年生になって私は演奏活動をいったん中断している。というのも税理士試験受験のために昼は大学、夜は専門学校で勉強していたからだ。夏の試験に向けて追い込みをかけていたころにBSSOの仲間からふたたび「山野でクラリネットを吹いてソリスト賞をねらってみないか」という誘いが。そこで、私の参加がBSSO全体の評価に吉と出るか凶と出るかは次の三つの理由から微妙であること…(1)八月のあたまの試験が終了してからの練習合流となり、それまで一切楽器に触れられないのでちゃんと音が出るかどうか、(2)それまで持ち替え楽器での受賞例が無いので不利かもしれない、(3)審査員の中にご一緒したことがあるミュージシャンがいる(のはヤバくないか)…を承知してもらった上での参加であった。そんな降ってわいたような山野初出場であったが、それが結局かつての「野望」実現へと結びつく結果となったのである。遠回りしたのか近道だったのかよくわからないが、ともかく夢にまで見た山野の熱い夏を経験できて幸せだった。さあ、これで悔いなく試験勉強に戻れる…はず…あれ? いまだに戻っていないんですけど。