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『今昔物語』 近藤和彦さん(JAZZ サックス プレイヤー)

明治大学 ビッグ・サウンズ・ソサエティ・オーケストラ
1985年 第16回大会出場
1986年 第17回大会出場(敢闘賞/最優秀ソリスト賞受賞)
サックスプレイヤー

※2003年、第34回大会に寄稿された文章を当時のまま掲載しています。
 私がこのコンテストで最優秀ソリスト賞を受賞したのは1986年でした。今でも日本青年館の近くを通るとあの熱い夏の日のことを思い出します。となりの公園での本番前の緊張感溢れるウォーミングアップと、受賞後の生まれて初めてで最後(!?)の胴上げと。
 当時の学生バンド事情はといえば、世の景気がまだまだ絶好調だったこともあり、企業のパーティーやイベント、学生主催のダンスパーティーなどで学生バンドとはいえたくさんの仕事があり、12月などはほぼ毎日のようにお金をもらって演奏していました。とはいえギャラはほとんど部費になるので楽しみはもっぱら出される食事とタダ酒、そしておみやげ。チキンの丸焼きを一人に一つおみやげにもらった事もありました。そのまま食べたりチャーハンにしたり、残った骨でダシをとってスープにしたりと、あぁ、貧乏学生にはホントに嬉しいおみやげでした。
 街にもビッグバンドの編成で演奏しているキャバレーやダンスホールがまだいくつもありました。私は高校時代からビッグバンドをやっていたこともあり譜面は適当に読めたので大学に入ってすぐに先輩のトラでそういったキャバレーやダンスホールで演奏するようになりました。よく、『プロになったきっかけは山野でソリスト賞とって?』とか聞かれましたが、私の場合は『そのままなんとなく』。キャバレーやダンスホールで仕事するうちに歌手のバックやTVの仕事をしてそのままずるずるっと….。そんな感じだったので私個人としては山野で賞をとってやろう的な考えはぜんぜんありませんでした。ただ同じバンドの中には『いい賞とりたい』って人もいましたが。
 大学同志の交流も盛んでライバルというより仲間意識があったように思います。当時からのつきあいで今でも一緒に仕事をしているプレーヤーとしては、本田雅人、池田篤、村田陽一、竹野昌邦、吉田治、守屋純子、佐藤慎一、金子隆博(フラッシュ金子)、下神竜哉、パラダイス山本、ゴンザレス鈴木、などほんとに豪華な顔ぶれですが、皆、山野の出身です。あの熱い夏の日の経験者なのです。
 現役の学生の皆さん、そしてこれから将来コンテストに出る皆さん、賞なんていい演奏をすれば後から付いてくるものなのです。賞をとるために頑張るのではなくいい演奏ができるために頑張ってください。swingできるようにがんばりましょう。夏の日は終わっても人生の目標は『何事もswingする』ことですから。

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