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『今昔物語』 森大輔さん(Tb)

東京大学 ジャズ・ジャンク・ワークショップ
1994年 第25回大会出場
1995年 第26回大会出場(優秀ソリスト賞受賞)
地方裁判所勤務

※2005年、第36回大会に寄稿された文章を当時のまま掲載しています。

 現在、私は、裁判官として、刑事裁判の現場で、音楽とは無縁の仕事をしています。刑事ですから、有罪か無罪か、どれくらいの刑にするかという判断をするのですが、任官以来、特に、実刑か執行猶予かという判断では随分悩みました。今すぐ刑務所に入れるか、もう一度更生の機会を与えるかという問題は、単純ではありません。犯罪の性質、反省の度合い、被害者の処罰感情、社会に与えた影響など、様々な要素を総合して判断する悩ましい仕事です。しかし、これに似たことが学生時代にありました。大学3年の山野に向けてのあの半年です。
 我が東大JJWは、私も含め、ほとんどのメンバーがサドメル・穐吉好きで、幹部学年になったら自分たちもそんな曲がやりたいと夢をふくらませていました。ところが、いざコンマスに就任してみると、そう簡単にはいきません。実力者揃いの先輩達が抜け、それまでジュニアだった面々が、いきなりそのままレギュラーになったのです。演奏の質を優先するか、自分たちの好みをとるか、試行錯誤が始まりました。
 このとき、いっそサドメル・穐吉はあきらめるとか、メンバーを入れ替えるとか、演奏の質を度外視して、無理を承知でサドメル・穐吉の曲に挑戦するなどと割り切ってしまえば、楽だったかもしれません。しかし、やはり今のメンバーで、山野の舞台で、サドメル・穐吉の曲をしっかり演奏したいという気持ちが、割切りを拒否していました。まずは、易しいアレンジの曲を完璧にこなそうとしましたが思うように演奏の質が上がりません。いらついてメンバーに容赦ない指摘を浴びせると雰囲気が悪くなり、更に演奏の質が落ちるという悪循環で、一時はバンド崩壊の危機に陥るほどでした。このときは、同期のメンバー達が、周りが見えなくなっていた私に思い切って意見してくれて、なんとか危機は免れましたが、演奏の質とバンドの好みとの間での葛藤はなおも続きました。
 しかし、私ひとりで悩まず、メンバーとも緊密に意見交換できるようになると、目指す演奏のイメージが徐々につかめ、それをメンバーとも共有できるようになってきました。リズム隊のノリ、サックスの技術、ブラスの音域、全体的に不安なスタミナ面、他大にも誇れる個々人の歌心、これらの要素を総合して、メル・ルイスと穐吉の曲を選び、自由な中にも均整のとれた演奏に悩みながらも近づきつつあるうちに、山野当日を迎えました。当日の審査員は辛口と噂の先生で、一瞬身構えましたが、「ほんと、良くなったねえ!」との意外なお褒めの言葉。最終順位は今イチでしたが、中立な立場の審査員が、一観客として発したあの言葉には、悩みを割り切ることなく、メンバーが団結してあえてこれに向き合った成果が凝縮しているように思われました。
 裁判官となった今、悩みに正面から向き合う経験の大切さを改めて実感します。裁判も所詮は人間の判断です。悩まない人の下す判断よりも、悩んで悩んだ結果が反映された判断の方が、より説得的なものです。あれだけ悩んだ半年間が、今こうして司法の現場で役に立っていると思うと、つきあってくれたメンバーやその場を与えてくれた山野には感謝してもし切れません。現役学生の皆さんも、ぜひ悩みに直面してほしいと思います。山野の入賞も重要な問題ですが、それだけでは片づけられない大切な人生経験を積むことができる、今となっては限られた場が山野です。学生なんですから、結果に拘泥せず、思い切り欲張って、思い切り悩んで、その悩みを山野のステージにぶつけることができれば、大げさでなく、きっと人生の糧になるはずです。今年も皆さんの健闘を心からお祈りしています。

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