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『今昔物語』 安ヵ川大樹さん(JAZZ BASSIST)

■明治大学 ビッグ・サウンズ・ソサエティ・オーケストラ
1987年 第18回大会出場(日本大学 リズム・ソサエティ・オーケストラ)
1988年 第19回大会出場(審査員賞受賞)
1989年 第20回大会出場(最優秀賞受賞)

ベーシスト/コンポーザー
レーベル D-MUSICA代表

※2009年、第40回大会に寄稿された文章を当時のまま掲載しています。
山野の思い出
 毎年、夏になるとYAMANO BIG BAND JAZZ CONTESTに向けて打ち込んだ、甘酸っぱく、ほろ苦い青春を思いだします。
 そもそもビッグ・バンドに入部したきっかけは、ジャズの魅力にとりつかれ、明大前のジャズ喫茶、マイルスに入り浸るようになり、そこで知り合った源氏(現オフィスゲン代表、3年・4年時コンマス)に勧められたことからです。それまで参加していた吹奏楽部を抜け出し、源氏の所属していたビッグ・サウンズ・ソサエティ・オーケストラに転がり込みました。
 いきなり夏合宿からトランペットで入部したのですが、すぐベースに転向となりました。初心者の僕はあまりにもレベルの高い練習を見て面食らいました。楽器を持っていないので、昼は寝て、夜中に起き、レギュラーメンバーのベースを借りて練習するという合宿の日々でした(笑)。その年の山野は7位、4年生の近藤和彦氏(AS)が最優秀ソリスト賞を受賞しました。
 その後、あまり部活にも顔を出しませんでしたが、秋の六大学ビッグバンドコンサートを見てから、真剣に取り組むようになったかもしれません。
 2年生で日大リズム・ソサエティ・オーケストラにお世話になりました。たくさんのイベント、コンサートを経験させていただき、16ビート、サルサ、サンバ等のグルーヴを体験できたことは、今の演奏活動の礎になっています。
 3年生で明大BSのレギュラーになり、バンドマスターになりました。
 山野本番ではあまりいい寸評をいただけず、授賞式にメンバーはほとんど出席していませんでしたが審査員賞をいただきました。バンマスなので、2日目の表彰式に出席していた僕は一人で審査員賞を受け取ったのを覚えています。その日はささやかな祝勝会でした。
 4年生になり、屋台骨だった学年が卒業し、全部員合わせても10人くらいになってしまいました。新入生は即レギュラーとなり、1年生と4年生中心のバンドで山野に臨むこととなりました。初心者中心ですので、基礎練習中心のメニューになります。1年生と一緒に毎日メトロノームと格闘していたのを覚えています。入賞が目標というより初心者の1年生たちと山野でどこまで演奏できるか、を考えていました。
 合宿中も急遽、響きすぎる練習場でなく、食堂の広間で練習しました。昼ごはんの横でパート練習と、まさに練習漬けでしたね。

 コンテストがこんなに大掛かりなものだと当日わかり、いきなり緊張する1年生もいました(笑)。
 演奏曲目は、This Could be the Start of Something Big、My Funny Valentine、Basie。あっという間の15分、1年生と作ってきたバンドでベストを尽くした爽快感がありました。
 翌日の審査発表は、最後に、「最優秀賞、明治大学ビッグ・サウンズ・ソサエティ・オーケストラ」と呼ばれました。バンドとしても初の最優秀賞受賞で、日本青年館の前で盛り上がりましたね。(僕が木に登ってトロフィーを掲げている写真がスイングジャーナル誌に掲載されました。)

 YAMANO BIG BAND JAZZ CONTESTを通して知り合った仲間、共有した濃厚な青春は言葉では言い表せないほど素晴らしいものでした。今でも目標に向かって打ち込んでいる現役の学生に会うたび、あの日の熱い思いがよみがえります。

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