第1回ヤマノ・ビッグバンド・ジャズ・コンサート(アーカイブ)
開催概要
■開催日 1970年6月20日(土)
■会場 サンケイホール(東京都千代田大手町)
■主催 山野ビッグ・バンド・サークル
■後援 株式会社山野楽器、パイオニア
■出場 全国学生ビッグバンドオーケストラ(12バンド)
■司会 いソノてルヲ ※敬称略
山野ビッグ・バンド・サークル
学生ビッグ・バンドが互いに親睦をはかり、情報を交換し、技術を高めあう場をもとう、というこの会が発足したのは、去年のあの暑い夏でした。日本中が学園紛争でもちきりになっているとき、果たして参加者があるだろうか、と懸念する声もありました。ところが、ふたを開けてみると実に10大学から13バンドが名乗り出るという盛況ぶり。学生ビッグ・バンドの研究熱の高まりか、逆に研究の場が少なかった為か、いずれにしてもアマチュア・バンドここにありの感を抱かせました。
もともと、この会は仲野彰とニュー・シャープス・オーケストラの公開練習を見学し、プロのバンドの厳しさに接して、「これを我々学生バンドも参考にしたい」「できれば講習会にまで発展させることはできないか」そんな声がわき起こったのがきっかけでした。
経費面からも、スケジュールの点からも不可能と思われるこの希いを実現させたのは、仲野彰とニュー・シャープス・オーケストラの全く営業を度外視した協力にほかなりません。
以来、毎月1回、ニュー・シャープスによる講習会がもたれることになりました。
この会には、実にユニークな点が数多くあります。
先ず、何といっても講師がプロ・ビッグ・バンドのオールメンバーであることです。この事は、時には実験台となる学生バンドの中にニュー・シャープスの一部のメンバーが加わって演奏したり、またある時は、完全にふたつのバンド合同で演奏するなど、技術指導の面で大いに役立ちます。
また、運営面では、参加各バンドの代表者(運営委員)による自主運営をたてまえにしています。その為か、度重なる運営委員の会合の中から、次第に連帯感や相互理解、協力の芽ばえてくるのが感じとれるようになってきましたし、会員の、この会に対する期待も大きくなってきています。
一方、このように他に誇り得るユニークさをもつ反面、講師がプロ・バンドである為に、日程がとりにくく、しばしば予定変更を余儀なくされたり、学生バンド自体も慢性化する部員不足の悩みは深刻で、このビッグ・バンド・サークルの前途は実に多難といえます。
しかし、その苦難を乗り越えて会の発展を目指すこと、それがわずかながらでもビッグ・バンド・ジャズの普及と発展につながるものと私達は確信しています。
最後に、結成わずか1年目に、このようなコンサートを開けることは、仲野彰とニュー・シャープス・オーケストラのメンバーの方々や、その関係者の皆さんの協力の賜と深く感謝致しております。 ※当時のプログラムより。2025年現在、このサークル活動は行っておりません。
会員バンド出演順
6月20日(土)
1. 慶應義塾大学 ライト・ミュージック・ソサエティ・オーケストラ
2. 日本電子工学院 ブラック・ノート・オーケストラ
3. 日本大学 ホワイト・リズム・エコーズ・オーケストラ
4. 明治大学 ビッグ・サウンズ・ソサエティ・オーケストラ
5. 獨協大学 スイビンギン・キャッツ・オーケストラ
6. 日本大学 ブルー・スイング・オーケストラ
7. 法政大学 ニュー・オレンジ・スイング・オーケストラ
8. 慶應義塾大学 K.M.P.ニュー・サウンド・オーケストラ
9.中央大学 スイング・クリスタル・オーケストラ
10. 東京電機大学 コースト・ジャズ・オーケストラ
11. 日本大学 リズム・ソサエティ・オーケストラ
12. 早稲田大学 ハイ・ソサエティ・オーケストラ
ゲストバンド
※当時のプログラムに掲載されたバンド紹介
原信夫とシャープス・アンド・フラッツ
1952年 シャープス・アンド・フラッツ結成
1958年 第1回リサイタル
1959年 第2回リサイタル
1962年 第3回リサイタル
1963年 カウント・ベイシー楽団と共演
1964年 サンケイ新聞主催の第1回世界ジャズ・フェスティバルに日本代表として選ばれ、トミー・ドーシー・オーケストラと共演
1967年 ニュー・ポート・ジャズ・フェスティバルに招聘される
1967年 第4回リサイタル
1970年 スイング・ジャーナル誌人気投票、ビッグ・バンドの部15年間連続第1位
ピート・マック・Jr.(Vo)
1948年 米軍人の父と日本人の母との間に生まれる(神戸)
1964年 神戸の塗料会社に入社し、入社パーティで歌ったのがきっかけで、友人のバンドにバンド・ボーイとボーカルをかねて参加
1965年 自分のバンドを作る
1968年 三保敬太のホワイト・キックスにリードシンガーとして加わる
1969年 グループ解散ののち本格的なエンターティナーとしての素質をみがくため原信夫に師事
本多俊夫(M.C.)
学生時代、ボス宮崎とコニーアイランダースなどでベース奏者として活躍、卒業後、ジャズに転向
1958年 ラジオ関東の「ミッド・ナイトジャズ」のディスクジョッキーにモンティ本多の愛称でレギュラー出演し、現在も続く。傍ら、ジャズ評論家としての地位も築く
1965年 本田俊夫の本名にもどり音楽界の司会、構成も手掛ける
1967年 ニュー・ポート・ジャズ・フェスティバルにシャープス・アンド・フラッツと同行