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『今昔物語』山野楽器スタッフ編 北澤彩弥さん(Sax)

日本大学 ホワイト・リズム・エコーズ・オーケストラ(OG)
2004年 第35回大会出場
2005年 第36回大会出場
※2007年寄稿
※現在は退職

「一生忘れることができない感動」。
それが私にとってのYAMANO BIG BAND JAZZ CONTESTです。学生時代の思い出と言えばビッグ・バンドの一言に尽きます。

「絶対ヤマノに出よう」と決意したのは大学1年生の夏。学内の新入生歓迎ライヴでビッグ・バンドと出会い、小学校~高校と続けていたクラリネットからアルトサックスに転向してジャズの世界に飛び込んだ私は、学生たちの間で通称「ヤマノ」と呼ばれているこのコンテストのことを全く知りませんでした。広い舞台で繰り広げられる演奏の数々。学生の本気が伝わってくる熱いステージ。そして自分のバンドの先輩たちが、いきいきと演奏している姿を見て「私もあのステージに立ちたい。」と強く思いました。

それからは、朝から晩まで授業やバイトの合間を縫って猛練習をしました。よく、あんなに練習できたな、と思うくらい必死でした。そうして、1年生の終わりにバンドの正規メンバーのオーディションに合格しました。

しかし、すぐヤマノに出場というわけには行きません。私がいたバンドは、前年、上位30位以内には入れず、予選選考会で上位10バンドに入らないと、本選には出場できないのです。「絶対、本選に出よう。」万全の準備をして仲間と共に予選選考会の録音に挑みました。

結果は、予選敗退。この年の本選に出場することはかないませんでした。人生でこれ程悔しい思いをしたことは、無かったんじゃないかと思います。悔しくて、悔しくてたまりませんでした。「来年こそは!!」。それから次の年の本選に向け、更なる猛練習をしました。

絶対ヤマノに出るんだ、あのステージに立つんだ!その思いが私たちを動かしていました。
一番の敵は、自分の弱さでした。何度やっても上手くいかないときもあり、合奏でも行き詰る。自分のせいで、予選落ちするわけにはいかない。予選選考会の直前、私はひどく落ち込んでいました。そんな私を支えてくれたのは、仲間の存在でした。「彩弥なら、できる!大丈夫だよ!」みんなが私を信じてくれました。信じてくれるみんなのためにも頑張ろう。私は自信を取り戻しました。

そして再び予選に挑んだ大学3年生の春。とうとう予選を突破。この夏、念願の本選出場を果たすことができました。

35プログラム

第35回大会プログラム表紙(2004年)

ステージに立った瞬間「やっとここに立てた」という想いから涙がこみ上げてきて泣いている私にメンバーが驚いていたのを覚えています。

苦しい時も、楽しい時も、私の隣にはいつも仲間がいて、楽器がありました。

36プログラム

第36回プログラム表紙(2005年)

「ビッグ・バンドを通して得た感動、仲間は私の宝物です」。
山野楽器の最終面接で思い出し、泣きそうになりながら話したことです。この経験が、大学を卒業したら警察官になろうと思っていた私の人生を大きく変えました。この仕事に就けたこと、すごく幸運なことだと思います。これからはスタッフとして学生の感動の舞台を全力で支えていきたいです。

※2007年7月、山野楽器社内の冊子に寄稿された文章を当時のまま掲載しています。