【今昔物語】山野楽器ビッグバンド・ジャズ・コンテストの想い出

山崎広(Tp)
同志社大学 ザ・サード・ハード・オーケストラ バンドマスター 
(1975年度卒)

1975年8月31日 この日は当時のサードハードメンバー 特に4年生にとっては一生忘れる事のできない日です。
第6回山野楽器ビッグバンド・ジャズ・コンテストに関西から初出場をし、幸運にも初優勝する事ができたサードハード。今でも当時の仲間と会えばいつもこの話題で大いに盛り上がります。ただコンテスト参加については山野の日程が夏の演奏旅行(サードハードは軽音楽部に属し部員約100名が演奏旅行を行います。1975年は8月28日、29日)のすぐ後であった事や、例年4月からサードハードはD軍(4年制は就活で抜けるため3年制以下のメンバー)がすべての行事に参加する事になっていて、さらには山野参加の交通・宿泊費等の問題があり、本当に参加には紆余曲折がありました。
ただ、当時親交があった立教大学 NSH さんの勧めもあり、演奏旅行から帰郷する30日にそのままサードハードメンバーは京都駅から新幹線で東京に行けば間に合うことや、一番の問題であった交通費も(当時で京都-東京 20名分の旅費20万)営業で民謡のバックバンドを行い、何とか目処がたち、参加を決定し4月から今までの風習を覆し、C軍(4年生中心)がすべての行事に参加していくことになりました。

それから夏の合宿や演奏旅行を終え、ついに山野の日が来ました。
いつもの演奏会とは違う緊張感の中、あっという間に演奏が終わり、今は亡き いソノてルヲさんが審査発表をされていました。
最後にいそのさんが「最優秀賞は」と言われたとき、私は舞台横で「同志社のど」っと言ってくれと心で叫んでいました。^o^


「同志社大学 ザ・サード・ハード・オーケストラ」の声が…
そのときに私は涙があふれて舞台に飛び出して行き、大粒の涙でトロフィーをいただいた事を今でもはっきり覚えています^o^
あれから43年経ちますが、私は今、豊橋で Super Swing Jazz Orchestra というBBを自分の子どもより若いメンバー達と一緒に楽しくやっています。
音楽をやっていて本当に良かったと思う今日このごろです。
最後に いソノてルヲさんが言われた言葉を今でもしっかり覚えています。
"山野楽器ビッグバンド・ジャズ・コンテストは音楽を愛する者の甲子園だ!!"

今昔物語とは

「YAMANO BIG BAND JAZZ CONTEST」は、これまでに延べ30,000人近くの方々に出場していただき、大学卒業後も各方面でご活躍されています。そこで、このコンテストに出場された皆さまの、YBBJCへの熱い想いをお寄せいただきました。素敵なコメントをお寄せいただきました皆さまには、心よりお礼を申し上げます。