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『今昔物語』本田雅人さん(サックスプレイヤー/作・編曲家)

今昔本田
国立音楽大学 ニュー・タイド・ジャズ・オーケストラ(OB)
1983年 第14回大会出場(最優秀賞、最優秀ソリスト賞受賞)
1984年 第15回大会出場(優秀賞受賞)

よし、山野に出よう!
僕が入学した段階では、ビッグ・バンドは無く軽音サークルさえほぼ無い壊滅状態でした。そんな当時の国立音大に突如ビッグ・バンド発生!ほぼクラシック知らないのに間違って入学したヘンな新入生だった僕にとってこれは最高に嬉しい事件でした。そして結成に燃えていた3年の先輩に目をつけられ入学早々ビッグ・バンド立ち上げに関わる事に。ただ結成したもののゼロからスタートなので活動場所が全く思いつかない。まずは目標を、と考えた末、先輩が持ってきたのが近所の村山団地内のお祭りの余興。ニュー・タイド初のオシゴト!でもこれがなかなか功を奏して練習に身が入りだしたんですよね。

その頃から山野の事は話題に上っていたんですが、そんな状態なので出場なんてのは全く考えもしなかったですね。レパートリーなんてほぼスイングガールズでしたし。偵察に行った先輩から「山野はほとんどプロ並か練習してる分プロ以上」ってハナシ聞いて「うちもいつか山野に出られるようがんばろうね」って夢語るのが精一杯。

そんなバンドも学園祭で演ったりと行事が増えるにつれだんだん調子に乗ってきます。「よし、山野に出よう!」と機運が高まってきたのは僕が2年後半辺りでしょうか。

この頃には練習にもかなり力が入っていて、一般教室をほぼ不法占拠し部室化に成功。暇さえあれば3-114(教室名)ってのが常識化していました。

そして僕が3年の夏、山野初挑戦決定!14プログラム

第14回大会プログラム表紙(1983年)

結成時の先輩達は卒業してしまいましたが、とうとうここまで来たか!って気持ちと、ホントにこんな程度で出ちゃってイイの?という不安でいっぱいでした。「最初は出る事に意義があるんだから、精一杯練習して楽しく散ろう!」をモットーに。

しかし各方面からの風当たりは思いのほか強く、学内ではブラバンの授業で先生に「しょうもない音楽のコンテスト出て恥でもかいたらどうするんだ!学校の名前に泥を塗るつもりか」的な御小言を頂戴し、外からは「音大なのに出るのはズルい!」とか何とか。

当の僕達はそれほど大げさには考えてなかったんですけど…と同時に、いやいやそんな甘いモンじゃないんですよ、山野は!と。

結局クラシックやってたらジャズなんて目つぶってても(?)出来ると思ってるんですよね、中も外も。全然そんな事ありません。ムリです。外からのご意見に対しては何も言えないのでひっそりしてましたが、寸評で前田先生が「じゃあ陸上競技に体育大が出てるのはどうなのか?」という僕らにとって大変明るい話題を提供して下さり、ほんの少しだけ楽になったのを覚えていますね。

14チラシ

第14回大会チラシ(1983年)

最近はいろいろな音大が当たり前に出場するようになり僕としては嬉しい限りです。音大だからって上手いとは限りませんし、大事なのはやる気と根気と要領でしょう。是非勘違いしないでクラシックとは違う「ジャズ」を真剣にやってみて欲しいですね。

全体的にも、最近は昔より圧倒的に上手なんだけど何かジャズっぽくないなぁってバンドが増えてきているような気がします。僕もそうですが、皆さん中学高校とブラバンやってて大学でビッグ・バンドというパターンが多いのでは?教育システム的にジャズ始まりって環境はなかなか無いのでムリもありません。でもだからこそ今一度「ジャズって何?」ってちょっと考えてみてはいかがでしょう?個人的には今そういうバンドを聴きたいですね。せっかくの「YAMANO BIG BAND JAZZ CONTEST」ですし。

本当は寸評もウマいヘタじゃなくて「感じイイかどうか」みたいなのを話題にしたいんですが、ついそういう聴き方になってしまうんですよね。

そんな気持ちを一発で晴れさせてくれるようなジャズ風味満点なバンド求む!

40周年おめでとうございます!

15プログラム

第15回大会プログラム(1984年)

※2009年、第40回大会の記念に寄稿された文章を当時のまま掲載しています。

■本田雅人プロフィール■
Saxは小3から。国立音楽大学時代YBBJC初出場、初優勝、最優秀ソリスト賞受賞。在学中に原信夫とシャープス&フラッツのリードアルト就任。傍らトップアーティストの作品多数参加。1991年T-SQUARE加入、1998年ソロ活動開始。ビッグバンド「B.B.Station」からワンマンまで活動形態は多岐に渡る。2015年6月には10枚目『SAXES STREET』リリース。昭和音楽大学客員教授。