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 1980年代
山口ミルコ (AS/Cl) 専修大学 グリーン・サウンズ・オーケストラ OG
1984年 第15回大会 出場(審査員賞 受賞)
1985年 第16回大会 出場
1986年 第17回大会 出場
1987年 第18回大会 出場
褐カ冬舎 エグゼクティブプロデューサー
(第39回大会寄稿)

私は私

 山野はせつない。毎年、この季節になると、あまりにもまっすぐに、ひとつのことに打ち込んでいたあの頃の自分を、懐かしく思い出すからだ。今でも日本青年館の前を通ると、胸があつくなる。

  母がベニー・グッドマンが好きで、よく聴いていた。中2でクラリネットを始めて、大学に入ると当然のようにジャズ研の門を叩いた。そこには、クラリネットのパートはなく、私の知らないビッグ・バンドの世界があった。それは刺激的で、私を夢中にした。
 部室は暗く、先輩たちはみな痩せており、いつも同じ服を着ていた。女性はいなかった。いま思えば、地味で貧しかった。しかし音楽漬けの毎日は、彼らを幸せにしているようで、そんな仲間といるのは楽しかった。だから、英文科の友達がテニスだスキーだデートだと飛んだり跳ねたりしているのも、ちっともうらやましくなかった。「私は私」なのだった。
  クラリネットを吹ける人がいなかったので重宝がられた私は、C年の山野でソロをもらった。「キャリオカ」という古い曲で、このときジャズ吹きの特訓を受けた。「千回吹け」と先輩に言われ、繰り返し練習をし、大学への電車の往復にはひたすら曲を聴いた。
  本番はあっという間で、何をやったか覚えていない。しかしセンターに出て、一斉に大勢の耳目が集中するなか光を浴びた高揚感は、四半世紀たったいまも、忘れることはない。
  以降、卒業まで、ビッグ・バンドに情熱を注いだ四年間は、その後の私の人生をじつに豊かにしてくれている。
  いまは編集者として書籍や雑誌の制作に携わっているが、仕事をして20年、いつどんなときも自分を助けてくれるのは、ジャズである。作家や芸能人、ミュージシャン…あらゆる表現者たちと付き合っていくなかで、ひとつのことを続けているからこそ、どんな人とも話ができた。続けることは苦しいし、努力がいるが、それをやっている人とは共通言語を持つことができる。いまでも吹いているが、歳をとるごとに、楽しくなっている。

  悩んでも、落ち込んでも、生きていればいつかわかる。いまの自分に起こっていること、これはいったいどういうことなのか。今わからなくても、いつか、かならず。
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