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 1980年代
守屋純子(P)
早稲田大学 ハイ・ソサエティ・オーケストラOG
1985年 第16回大会 出場 (優秀賞受賞)
1986年 第17回大会 出場 (スイングジャーナル賞受賞)
作・編曲家/ジャズピアニスト
(第40回大会寄稿)

山野の思い出に時効はない

 運動系サークルでは、現役時代の重要な試合について、大学卒業後も、仲間が集まるたびに、“あのときアイツが打っていれば…”とか“あの時、あのボールがもう少し違う角度で入っていたら…”とかいう話になるそうです。翻って、全ての大学ビッグ・バンドにとって、YAMANO BIG BAND JAZZ CONTEST(以下山野)は、“最も重要な試合”なのだと思うのです。
  最近、早大ハイ・ソサエティ・オーケストラ(以下ハイソ)時代の前後4-5年のメンバーが久しぶりに集まる機会がありました。毎日一緒に練習した仲ですが、地方で就職したメンバーの中には、卒業以来、初めて再会した人もいました。
  そういった集まりで、話題として一番盛り上がるのが、山野のこと。卒業後20年前後たっていながら、“あの曲の誰とかのソロが良かった”“緊張で出だしの音がイマイチだった”みたいな、とても細かいことまで、誰もが驚くほど鮮明に覚えているのです。
  当時は、今のように、各校の演奏を公式に録音してCD化する、みたいな制度もなかったので、一年生が、日本青年館の客席でウォークマン(時代ですね!)で演奏と寸評(!)を録音し、部員全員に配布していました。そのカセットテープを、皆とても大事にしているようで、“今でも時々聴いている”という人も結構いました。いつまで経っても山野のことを忘れないはずです。
  わたしももちろん、持っていますが、全く聴いていません。今山野に出場している学生たちより相当下手な可能性大なので、(ここ10年くらいの学生ビッグ・バンドのレベルアップぶりというのは凄いものなのです)それを聴いたら審査なんて怖くてできなくなるかもしれないからです。とりあえず、自分の学生時代は棚に上げておかないと。
  わたしたちハイソは、常に“優勝する”ことが目標だったのですが、わたしが出演した年はいずれも、優勝を逃していました。この同期会で判明したのですが、当時のコンマスは、“自分の代で優勝できなかった”ことが未だにとても悔しいらしく、“優勝した年”のコンマスを20年後の今も真剣に羨ましがっているのです。あげくの果てに、“あの時は出演順が悪かった(出演が初日の一番だった)”とクジを引いたマネージャーが責められる。クジ運のことまで、後々言われ続けるとは、“山野はビッグ・バンドの甲子園”の例えどおりですね。
  そして、皆が口を揃えるのが、“あの時審査員の○○先生に××についてダメ出しされて…”“でも、サックスソリについては、よく揃っていると褒められて…”などという話。審査員の寸評って、何年たっても覚えているもののようです。
  わたしは、山野に出場したのは2回ですが、審査員での参加は今年で9回目、審査員としての思い出の方が多くなってきました。最近では、社会人バンドにゲスト出演した時や、若手のプロの人と仕事をする時に、“山野の時のコメント、守屋さんだったんですよー”と言われることも珍しくなく、“果たして、その時、ちゃんと的確なコメントを言っただろうか?”と不安になることもしばしばです。
  それにしても、卒業して何十年経っても忘れないほど、鮮烈な思い出があるって、素晴らしいことです。本番に臨むまでの、皆で力を合わせての練習、音楽漬けの合宿など、そこに至るまでの過程も含めて、山野は、本当に“青春の貴重な1ページ”なのです。
  今になって思うと、大学時代にそういう“仲間と心をひとつにして全力で何かに立ち向かった”体験を持っている大人って、意外に少ないですよ。そしてそれが、後で思わぬところで、自分の支えとなるのです。まさに、“山野の経験は一生もの”。山野に出演したことの本当の価値は、卒業してずっとたってから実感できることなのかもしれませんね。

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