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 1980年代
城崎 潔(Tp)
大阪大学 ザ・ニュー・ウェイヴ・ジャズ・オーケストラ OB
1980年 第11回大会 出場 (奨励賞受賞(中島教秀(B))
1981年 第12回大会 出場
じょうざき内科クリニック 院長 (兵庫県尼崎市)
(第39回大会寄稿)

「やってそうな人 → やり続けてる人。」

 1979年暮れ、予定外の2留目突入が決定していた私はコンマスの要職に無理やり就いた瞬間叫びました。「山野へ行こう!!」 1977年入学組が中心となって1979年に阪大軽音Swingの伝統あるバンド名Swing Academy OrchestraをThe New Wave Jazz Orchestraという名前に変えていたのですが、新しい名前になり、やる気満々で恐れを知らない面々ばかりだったので山野出場には異論はでませんでした。好事魔多し!で、山野に向けて着々と進んでいる途中になんとリードアルトが腎臓病で倒れてしまいました。1学年下だったのにいつの間にか1学年上になっていたリードテナーのI・H氏(現阪大医学部教授)からリードアルトのS・N氏の発病の連絡を受けた時の私の反応に、「なんやあんまりおどろかへんなぁ」と呆れられましたが、実は発狂しそうでした。どうなることかと思いましたがサブ・メンバーの繰り上げでなんとか形もついて無事出場を果たしました。今でもどういう意味かよく分からないのですが、山野に先立つ信州での夏合宿で交流した成蹊大学コンパル・サウンズ・ジャズ・オーケストラの面々から「阪大のコンマス?、あのやってそうな人!」というありがたい(?)称号をいただいたんですが、本当は何もやってないのは周知のことです。(ただ山野でおなじみ阪大のハッピはこの山野初出場に備えて作ったものですが、このアイデアは私が出して自宅近くの制服屋さんで作ってもらったものなんですよ。)

さて当日朝都内某所のスタジオで最終リハーサルをやったんですが、個人で奨励賞を受賞した同期のBassist中島教秀は気合十分で怖いくらいでしたね。手元にある当時の録音を聞いても2曲目のMean What You Sayが始まると中島の生み出す4ビートに会場の雰囲気が一変しているのが伝わってきます。ピアノトリオに引き続いた中島のベース・ソロが終わりアンサンブルが始まると会場から本当に大きな拍手がわきあがりました。(中島氏は4年で卒業し高校教師の就職をうちすててMusicianとして今も関西で活躍されてます。)

1985年春無事(??)卒業し医師としてスタートしてから数年間は演奏活動を中断していましたが、結局今に至るまで色々形を変えてですが楽器は手放さず「やり続けてる人」になっています。
風の便りによると山野初出場組のほとんどが今でも演奏をやり続けているようです。今回出場の皆様もきっとはまってしまってやり続けてる人になってしまうでしょう!!(こういう病気につける薬はありませんし、私も治そうとは思ってません。)

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