ヤマノビッグバンドジャズコンテストについて YBBJCの歴史/データ 過去の出場者からのコメント お薦めCD/イベント 重要なお知らせ/Staff Room

 1970年代
高津敏栄 (Sax) 明治大学 ビッグ・サウンズ・ソサエティ・オーケストラ OB
1972年 第3回大会 出場
1973年 第4回大会 出場
(第34回大会寄稿)

ビッグ・バンドと私

 Quincy Jonesの初リーダー作“This Is How I Feel About Jazz”。Michel Legrandがジャズ・センスを披露した“Legrand Jazz”。Count BasieによってFrank Foster、Frank Wessとともに起用されたThad Jonesの、後のThad-Mel Jazz Orch.に結晶されるスコアの兆しが見える、エポックなアルバム“Chairman Of The Board”。私のビッグ・バンド趣味のルーツの一部である。
 元来多感多情で好奇心が強い、困った情緒漢の私は、音楽についても同様だ。
 新内や義太夫など長唄小唄、端唄俗曲。広沢虎造の「清水次郎長伝」や天津羽衣の唄う艶歌も聴く。新作民謡「相川音頭」「尾鷲節」も、リズムが強く、これもいい。ベートーヴェンやブラームスなど、浪漫派の管弦楽も好むし、ドビュッシーやラヴェルのフランス趣味も悪くない。POPSも。
 しかし、ジャズは格別だ。Phil Woods、Charlie Parker、Julie Londonは、私の“命”。
 とりわけビッグ・バンドが好きなのは、これらすべてのエッセンスが詰め込まれていて、なおかつ、ビート感とドライヴ感があり、どうやら多感多情な私好みの典型なのだろうと思う。

  ところで、山野楽器のこの企画も、コンテスト形式になる前から数えて34回目になるという。
 そもそも、「山野ビッグ・バンド・サークル」と銘打って、月に1回、楽器の販促活動の一環であったろうが、学生ビッグ・バンドのクリニックを始めたのが、すべての始まりだった。指導役は、最初が“仲野彰とNew Sharps”。仲野さんが体調を崩されたかに聞いたが、その後“森寿男とBlue Coats”に代わった。当時の学生バンドにとって、これは画期的な催しであった。
 そして、その成果を発表する場をというので、コンサートが企画された。“Let's Drive Together !”のタイトルで、会場は旧大手町サンケイホール。奇しくも、私はその頃1年生であった。
 翌年の第2回は、日比谷公会堂。私はアルト・サックスを吹いていたが、まだレギュラーでなく、裏方で運営と進行を手伝った。進行台本に基づいた大人のやり方に出会って、いたく感激したものだった。これをきっかけに、他校の友人も出来、情報や楽譜の交換も始まった。
 その後、コンサートは、コンテスト形式へと進化した。ビッグ・バンドに止まらずジャズ全体に及ぼした影響と貢献は計り知れない。学生バンドのこの活況は、世界でも稀有なものであろう。
 思えば、その頃に身に付けた色々なことが、私の血と肉になっている。
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